1974年を振り返る

このサイトの最終目的はサッカーの新しい戦術を考え出すこと。そのためには、ひと昔前のことを知らないと話にならない。
バレリー・ロバノフスキーが革命と言った、1974年のオランダ代表。いったい何が革命だったのか?少し振り返ってみることに。

1970年代当時、好守は分業制が当たり前。
フォワードの選手は点を取ることだけ、守備はしない。
ミッドフィルダーはフォワードにボールを供給することと多少の守備。
ディフェンダーとゴールキーパーは守備のみ。

当時のオランダは選手のプロ化が進み、これからのサッカーはどのようにプレーされるべきか考えていた。要の考えを3つほど。

・サッカーで重要なことはスペースをいかにコントロールするか。
・ボールを持っている時はピッチを広くすれば、ボールをキープしやすい。
・ボールを持っていない時はピッチを狭くすれば、相手はボールをキープしにくくなる。

それではこの3つの考えをどのようにすれば実現できるのか?

基本原則としてサッカーには4つの場面が存在する。
・攻撃の場面
・攻撃から守備の場面
・守備の場面
・守備から攻撃の場面

攻撃に関する場面では選手にポジションチェンジを奨励し、チームメイト同士でカバーし合うことを求める。
守備に関する場面ではボールに近い位置にいる選手がプレッシングをしかけにいく、この場面でも選手のポジションチェンジに合わせスペースをカバーする。

プレッシングし、お互いのポジションをカバーしながら攻撃する。

この一文だけをみると簡単に物事が進みそうだが、この一連の動きはとてつもない体力を要するためにアマチュアの環境下ではほぼ不可能。オランダのプロ化が進み、はじめて可能になった戦術だと思われる。

ポジションチェンジという「カオス」、プレッシングという「ボール狩り」。

1974年当時の映像を観ても、今のサッカーと遜色ないことがわかる。
戦術よりも決定的な違いは14番をつけた、ヨハン・クライフがいたことにあるが。。。